こんにちは!
ご覧いただきありがとうございます。
Kula Pilates Studioのアキコです。
Kulaのホームページにようこそ。
まずは自己紹介から…
AKIKO-アキコ-

名前:Akiko
1976年12月10日生まれのA型 (几帳面部分と大雑把な部分が混在)
出身:東京都の西側、羽村市(立川から青梅線で20分)
家族構成:シンガポール人の夫と、子供3人(現在長男はシンガポールで一人暮らし中)
好きなもの(こと):お笑い!(その為に帰国したと言っても過言ではありません)と、筋肉痛。
苦手なもの(こと):多くの人の前に出て発表する事(結構テンパるタイプ)
将来の夢:筋肉痛感じる程の運動、揉み返しくる程のマッサージなど、身体にいい事してんな〜って感じることを毎日感じる日々をおくる
推している人:シソンヌ、もう中学生
幸せを感じる瞬間:ラジオ、特に「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」と「おぎやはぎのメガネびいき」を聴きながら家事してる時(有吉ラジオのもう中がゲストの時は10回以上聴いてます)
スタジオ近くのおすすめのお店:『COFFEE ROASTERY MEGURO』
コーヒー文化が根強いオーストラリアで毎日ラテを飲んでた私も、ここのエスプレッソ系コーヒーはお勧め!!
19歳で思い切って海外へ!帰国してスタジオをオープンしました!
出身は東京の西側、東京都羽村市です。山と川が身近にあり、自然に囲まれて育ちました。


近くに横田基地があり小さい頃から外国人を近所で見かけていたり、洋楽好きの兄の影響で海外の言葉や外国に興味を持って育ちました。短大を卒業後に海外での就職をきっかけに28年間シンガポールとオーストラリアをハシゴし、2024年に無事日本へ本帰国。
28年間の海外生活を支えてくれたのは日本のお笑いでした

長い海外生活では辛い経験もありましたが、大好きな日本のお笑いに助けられました。
(特に観ていた芸人:ダウンタウン、エガちゃん、最近はシソンヌ)
19歳の時に単独で海外へ移住、その頃は英語も今の様には話せてはいませんでした。日本でも就職した事なかったのに、突然シンガポールの企業への就職。そして職場もシンガポール人がほとんどでした。言葉の苦労もありましたが、文化、風習、考え方の違いで戸惑う事が多く、その頃はかなり自分の意見を言えずにグッと堪えていた事が多かったと思います。日本の家族や友人には絶対に心配させたくないと、ポジティブな報告しかしていませんでした。
そんな時に癒してくれたのは、日本のお笑い番組や芸人さんのラジオ番組でした。
辛いことがあっても、心の中で突っ込んでたり、とにかくネタにして笑ってしまえば、そこまで辛く思わなくなってました。
色んな媒体で遠く日本のお笑い番組を観たり、ラジオを聴いたりする毎日。ラジオに至ってはメールまで送り何度か読まれたり、あるお笑い芸人さんのラジオでは生放送のインタビュー電話にシドニーから出ました。(その日、風が強すぎて電波も悪く途中で完全に切れてしまいましたが笑)
昔から面白いことが大好きで、人間観察が好きな私は、話してる人の笑いのツボはどこかな〜と探りながら会話し、常に笑わせようと考えながらおしゃべりしている時が多かったです。(多分前世、関西人)
結果今では、私の性格とフレンドリーな習慣の海外生活が長かったのもあり、日本に帰国してからも時々知らない人に話しかけたり、初対面の方と打ち解ける事ができる親しみやすさが「自分らしさ」になっています。
バレーボールとボケとツッコミに青春をささげました
小さい頃から身体を動かすことが大好きでした。今考えるとかなり忙しい小中時代を過ごしていたと思います。放課後には必ず何かしらお稽古事を入れてました。(そろばん、書道、水泳、キックボール、ピアノなど。しかし全て中途半端なところで辞めており、履歴書に書けるほどのレベルまではいかず…)スケジュールをガッツリと入れる癖はこの頃からあったのかもしれません。
小学校高学年から始めたバレーボールにはまり、他の習い事を辞めてまで夢中になりました。高校までバレーボール部で、頭の中は8割バレーボールでいっぱいでした。今考えるとバレーボールという競技がシンプルに好きだっただけでなく、一緒に苦楽を共にした友人が好きだったからかもしれません。
結果、長年日本から離れていたにも関わらず、その頃の友人たちとは今でも定期的に連絡を取り合ったり会っています。人生の節目での出来ことでは一緒になって喜んでくれたり、苦しい時は愚痴を聞いてくれていました。長女を出産する時はその友人にLINE中に出産するほどでした。
ちなみに中学仲間とは私はツッコミ役になり、高校の仲間では私はボケ役になります。
3人の出産。腰痛に悩まされていたところピラティスで改善

ピラティスに出会ったのはオーストラリアのシドニーにいる時でした。3人の出産と高身長(172cm)の為か、腰痛に悩まされていました。
その頃お世話になっていたカイロプラクティックの先生からピラティスを勧められたのです。元々ヨガをやっていたのですが、そのヨガスタジオでもピラティスのリフォーマークラスがあったので試しに通ってみた結果、「なんて理にかなってる運動なんだろう」と感動したのを覚えています。
走るの苦手、繰り返しの運動が苦手なワタシがドハマリした理由は、動きながら自分の身体を分析、そしてそれがまさに身体の不調に影響を与えてるところがドンピシャで当てはまる事でした。さらに、人それぞれ骨格、筋肉が違うので「不快感を感じる動き、体勢はやらなくていい。その代わりに自分ができる動きで同じ筋力をつける」という考えでした。
バレーボールでどうしても強く打てずに苦手だったスパイクや、ヨガでの出来なかった/いつも不快感を感じていたポーズは、自分の身体の骨格や特定部位の筋力の弱さが、ピラティスクラスでピッタリと重なったのです。ますますピラティスにハマり、より深く知るために資格を取りました。
ピラティス先進国で医療系ピラティスの師匠に出会う


オーストラリアでは日本よりピラティスがもっと生活に浸透していて、老若男女に適した運動として知られています。
リフォーマーだけでなく他の器具のピラティスに興味を持っていた私は、近所の理学療法クリニックに併設された小さなスタジオに通い始めました。そこで医療ピラティスインストラクターで、のちに私の師匠になる先生に出会いました。
彼女のクラスはとてもユニークで、3人同時に運動をするクラスなのですが、毎回クライアントさんの体調を聞いて、その場でそれぞれ違う運動メニューを提供するというクラスでした。オーストラリアでもリフォーマーのグループレッスンクラスが増えていた頃でしたが、彼女は元看護師という経歴からか、クライアントさんへの伝え方が別格でした。私は、他の方に教えるクラスも見学したいと頼み込み、昔落馬して肋骨を折ってしまった経歴のあるクライアントさん、膝と股関節の置換手術を終え運動したいが自信がないクライアントさんなどの特殊なケースのクラスにも立ち会えました。
私は彼女のクラスに通ううちに、一緒にスタジオで働かないかと誘われ、そこで私のピラティスインストラクターとしてのデビューとなりました。
インストラクターデビュー(少人数グループの楽しさに気づく)


私はそのシドニーでの定員3人のスタジオの雰囲気が好きでした。3人偶然同じ時間に予約が入ると、もちろんお互いに初対面な事が多いです。
別々に違うメニューで運動をしていても、時々身の上話や世間話が繰り広げられて、知り合いになっていきました。
毎回同じ曜日、時間でクラスに通っているうちに、お互いに少しづつ打ち解けて、レッスン後お茶をするようになったクライアントさんも少なくはありませんでした。
スタジオは単に運動する場所だけでなく、顔見知りができたり、情報交換ができたり、クラス終わりには心もハッピーになってスタジオを出ていく方が多かったです。
海外式の少人数グループのよさを日本でもっと広げたい

元町でもこんな素敵な雰囲気のスタジオを作りたくて、サンスクリット語で「仲間・コミュニティー」を意味するKULAという言葉をスタジオ名にしました。
自分自身、色々な運動をしてきた中で、一番大切なのは長く続けるという事だと感じています。
続けるには楽しいと感じる事が必須であり、嫌な運動は無理やりやっても続きません。
私は運動は好きといえど、ジョギングや縄跳びなど苦手な運動があり、やらない宣言を公言しています。
また同時に、苦手な動きを克服した時の達成感も必要です。レッスンではそういった苦手な動きや運動を相談しながら、少しづつご自身の身体にチャレンジしつつ、楽しめるメニューを提供できたらと思います。